つぶやき&メッセージ
バイク
バイクを走らせながら
何を考えるか..
音楽もナビも煙草もジュースもなく
ただエンジンの化け物に跨り
駆け抜けるコーナーを楽しみ
エンジンのサウンドと
通り抜ける風だけ。
このまま道が続く限り
どこまでもいけちゃうって
そんな想い??
でも、それは車でも同じ事..
僕は10代の青春の頃
バイクを知った。
そして色んな恋をした
もちろん失恋もした(^^ゞ
友人と将来の夢を語らい
旅先で出会ったライダーと
飲めない酒をあおって
海岸で駄弁った
次の街に行くたびに
また違う女性との出会いがあるんじゃないか..
そして、僕の思い描く仕事や愛する人や将来があるんじゃないかって
そう思っていた。
その頃の思い出が
あの時の感覚が、思い出そうと意識しなくても
バイクで走る度に、今も鮮やかに蘇る。
立場や仕事の忙しさ、いい年してって..現実に縛られ
共に歩むと思った人は振り向こうともせずもう存在しない。
子供も社会へ飛び立ち
語り合った親友とも死別した
僕はただ一人、回想の世界をぶっ飛ばす!
アラン・ドロンの映画
「あの胸にもう一度」を観た
1968年の映画だけど
今、なぜか共感できる..!
僕はいったい何処へ向かって走っているんだろうか...
「創業塾」という勉強会
豊川市商工会議所の主催で開催されている
「創業塾」
まさに未来の社長がいろんなアイデアや夢を持ち寄って
金融機関と中小企業診断士などと「創業」に関する勉強会を行っている。
創業のためなら、何でもやったるぜ!って感じで、僕も参加して
今日が最終日。
そしてお食事会。
僕の半分の年の方が、大きな夢を見て
熱く語っているのをみたら
少し遅かったのかな…なんて思ったけど
矢沢語録
「年をとるってことは細胞が老けることであって、魂が老けることじゃない」
って思い出していた。
すごいね、みんなキラキラしている!
参加した皆さんお疲れさまでした。
ドアの向こうに夢があるなら、ドアが開くまでたたき続けるんだ!
ある日の日記より…
救命現場、災害現場、修羅場、悲しみのどん底の家族
涙、裸体、醜態、パニック...現場はまるで最前線の戦場!
こんなシーンを多く経験してきた僕の仕事のある日記より…
日本人の感覚は、触らぬものに祟り無し!
アメリカのヒーロー感覚と違って
島国根性むき出しの、なんとも情けない場面を多く目にする。
突然、満員電車の中で空いた空間...
そこには床に倒れた人。
周りの人は、ただ避けるばかりで
みんな反対側を向いて知らん顔。
駅のホームについても、その人を避けて通り出入りし、誰も何も見なかった様相。
僕は思わず倒れた人を引きずり出しホームで叫ぶ!
「駅員を呼んでください!」
...ふと気付けば、僕が降りるはずではない駅だったけど、もう電車の扉は閉まっている。
クソッ!!っと思い、電車内を覗くと・・・信じられない光景を目にした。
電車の窓から多くの人が携帯で写メを撮っている!!!
さっきまで知らん顔をしていた人が、わざわざ携帯を取り出して
倒れた人を撮影している・・
僕は呆れて一瞬我を失った。
ホームに並ぶ人も、隅の方から写メ、写メ、写メ・・
「お前ら!恥ずかしくないのか!この人にだってプライバシーがあるんだ!」
僕はつい、大声を出してしまった。(..;)
そんなことがきっかけで
僕は救急現場で周りを見渡すようになったんだけど
思ったより写メは多い!
そして、思ったとおり誰も協力してくれない...
マスメディアでも多くの画像が携帯から撮られた写メのようだ。
でも、考えて欲しい!
もし自分が倒れ、AEDを貼り付ける時に上半身を裸にされたら..
その時、失禁があったりしてとても恥ずかしい姿だったとしたら..
自分ではないけど、最愛の人がそうなってしまったとしたら..
取り囲んで写真を撮られてどう思うんだろうか??
撮影した人は、キット仲間に自慢げに話すんだろうね・・
もしかしたらメディアに売り込みに行く??
そんな時には、上着の一枚でも脱いで掛けてあげるとか
持ち合わせのバックとか、友達とかで周りを囲って見えないようにしてあげるとかできないものか。
せめて、傍について声を掛けてあげていればよかったな..って後悔しないんだろうか?
やめとけよ・・と言えない中年世代。
写メの青年たちがまた親になって、次はもっと高性能なデジタルデバイスを持ったモラルの欠如したその子孫たちが、プライバシーを大きく壊してゆくんだろうな!
身体に触れて、ほぐして癒やすこと
少しでも安らぐ時間を持って欲しい始めようとするCocoChi
流した汗と、葛藤と、熱い思いを糧にして
ストレスだらけの世の中に、ひとときの安らぎを与えることのできる施しをしよう…と想う。
きっかけは意外なところに…
ある救急出動のことだった。
高齢の女性が動けずにいるって通報で駆けつけると
すごく立派なお宅で、奥へ奥へ案内される…
その部屋は、あきらかに家族から孤立させるために作った
暗く、狭く、異臭のする、まるで物置のような部屋だった…
お婆さんは、失禁・脱糞・食物残渣の布団に横たわり
その周囲には、ゴミなのか汚れた下着なのか食べかけの「何か」なのか汚物なのか分からないほどで
僕らは足の踏み場を探すのが大変だったけど何とか救急車まで搬入した。
「最後に食事はいつ食べましたか?」
…「えーと、う〜んと…朝?」
→あやふやな答えだけど、今はもう夕方だよ!
「おばあちゃん、いつ頃まで元気だったんですか」
…「ちゃんと看てましたから、ちょっと前まで…」
「前って?」
…「昨日かな、朝までは…」
→だから、もう17時過ぎなんだけど!
お婆さんは、目を閉じ衰弱しきって、それでも必死に生きようとして何かを口にしたのだろう
不潔極まりない環境の中で、返事をすることなく横たわり、その身体は冷え切っていた。
僕は、汚物を拭いて、服を脱がして、きれいな毛布にくるんで、「頑張って!」と声をかけながら病院へ駆け込む…
救急外来の廊下で医師が来るまで、僕は思わずお婆さんの手を握っていた。
その時!
話せないと思っていたお婆さんが
「ありがとう、ありがとう…」と言葉を発し
最期の力を振り絞って僕の手を握り返した
くちゃくちゃの顔からは、涙がいっぱい溢れていた…
僕は、あの時の手のぬくもりを忘れない。
生きているんだよ、温かいんだよ…
握り返してくれたあの想いも忘れない。
お婆さんが、人に手をかざすことが、こんなに重要なんだって教えてくれた気がする。
その日以来、救急で接する方すべてに僕は手を握り「頑張ったね、心配ないからね」と伝えてきた。
一緒に働く仲間にも、測定機器に頼らず、まず身体に触れなさいと伝えている。
リラクゼーションマッサージでは、病気や怪我を治すことはできないけど
つらい部分に手をかざすだけで少しだけ安心できる。
僕は、そんなセラピストになりたい!
幼い頃に感じた、母の手のように…
あのお婆さんが教えてくれたきっかけを活かして。